九州北部豪雨(朝倉市杷木松末地区など)、現地訪問、現地からの報告等
2017.8.26 7月30日 床下の土出しの応援、8月26日復興計画の難しさを追加
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九州北部豪雨(朝倉市杷木松末地区など)、現地訪問、現地からの報告

2017年7月27日 お見舞いに行く

 はじめて、現地(杷木星丸の実家、親戚や友人の家など)を訪問した。道路の復旧工事(土砂を取り除くなど)や住宅等の土砂出しなどを見た。現地での行方不明者の捜索(流木を動かす、ハウスを解体するなど)は、終わっていた。まだ、不明の方5名とのこと。

小倉北区の自宅から、行きは(山路インター)北九州都市高速-九州自動車道-大分自動車道(杷木インター)で、スムーズに行けた。帰りは、夜明経由で、国道211号線で小石原まで、そこから500号線の英彦山(その間、片側通行の区間がいくつもあったが)そして、香春経由で自宅に戻った。
 道路が削られて片側通行になっている所がある。松末小学校からの県道八女香春線は、通行止めだ。乙石川は、土砂の中を流れ、道路がない。

避難について:雨がひどくなって、川が増水し、道路にあふれたとき、まさか、家ごと流されてしまうとは、想定しなかった。そのため、2階に上がって救助を求めたが、どうすることも出来ず、流されてしまった人がいたという。(記録的な大雨の時、山間の中小河川・土砂崩れに対する避難の訓練がほとんど出来ていなかった。)
 弟の話:雨がひどくなって、松末小にちかいコミュニティ事務所に行き、連絡等していた。途中、少し、小降りになって、自宅に戻ろうとして、戻れずに、引き返した。そして、やがて事務所が冠水してきて、松末小(生徒と保護者も帰れずにいた。近所の住民も避難してきた。)に避難したそうだ。小学校で、高い階段から、1階の冠水を写真に撮ろうとして、そのドアが破れて一気に水が押し寄せたという。夜は、川の音、雷と避難者の泣き声等で、眠れなかったそうだ。

松末小学校:校庭に埋まったままの車が数台。作業?の車などが駐車していた。校舎の周囲の土砂や流木は、取り除かれていた。南側の高い校舎の図書室も、浸水で本がいくらか散乱している。北から東側に接して流れる乙石川は、県道の橋で流木で埋まり、川は、その北東側の道路や住宅・県道を壊して、流れていた。

弟(杷木星丸池の迫):家は、裏の小川の増水で、土砂が敷地に入り、住宅、倉庫棟が床下浸水したとのこと。家の周りの土砂は、近所のかた、下の弟等の協力で集め、先日運び出しが終わっていた。(畳上げや倉庫内の掃除はまだ。)。赤谷川の近くのハウス、田など1.2町が土砂で埋まっている。高台の田は、被害が無かったが、赤谷川からの用水が取れなくなって、(これからの雨模様によるが)今年の収穫は無理だろうとのこと。

妹の嫁ぎ先の家(杷木星丸正信):北隣の小道を挟んで、酒屋さんの倉庫は、残っているが、住宅・店舗が土石流で流された(県道の土砂の撤去作業中)。その土石流の一部が敷地に流れ込み、真砂土で埋まっていた。低い道路と同じ高さの醤油工場(廃業して稼働はしていなかった)は、1m以上の真砂土で、道具類は、大釜を除き、すべて廃棄したそうだ。家の周りの真砂土がまだ、残っている。畳を上げて、掃除を始めてあった。

製材所とその母屋など(東峰村小石原):行者杉の所からの西に流れる小石原川支流の小川が溢れて、国道500号線の道路・第一天神橋の上を流れ、道路向かいの家のお年寄りをおぶって避難したそうだ。母屋は床下浸水し、庭にはいろんなものが溜まっていて、叔母さんの靴が流れたが、知人の亡くなられた記事を読んで、悔やむのをやめたという。製材所は、材木・製品・おがくずなどが散乱し、10日間整理に掛かったとのこと。幸いなことに、地下のモーターは、乾燥したら動いたとのことで、もう、製材をしてあった。

2017年7月30日(日) 床下の土出しに行く

 弟から、床下のたまった土を出すとのことで、応援に子達と駆け付けた。(校区の夏祭りを欠席)。総勢25人だった。玄海島からの方(弟の最初の赴任先の中学校の生徒さん達)がサザエや数種の魚を持参し、日よけのテント代わりにブルーシートを張ったり、お昼前には刺身も作ってあった。
 裏の小川からの浸水で、裏側では、厚さが約10p、表の方ではその半分ほどの田の土(少しはひびが入っていたが、手でつかめる柔らかさ)が溜まっていた。畳を交互にあげて、床下に降りて、ショベルや手でバケツに入れ、それを床上の人たちがリレーして、軽トラックに積む。9時から3時頃まで、汗を流した。休憩をちょくちょく取り、塩飴をしゃぶったり、水分補給をした。お昼は弁当・刺身などを、終わって、スイカ・どら焼きなどをいただく。
 行きは、自動車道で、帰りは、夜明を回って、国道211号で小石原まで、500号で英彦山駅-添田-香春でほとんど、渋滞はなかった。

2017年8月26日 復興計画の難しさを聞いた

 松末地区の赤谷川流域(朝倉市杷木星丸まで)は、低地の田畑・川・道路が、土砂で一つの平面になってしまった。(正射画像(ヘリ画像・UAV画像)で、[被災前後の比較はこちら]があります。)
 そして、低い所を水と今も山砂が流れるため、砂止めの堰(ダム)を作り、数年間?は、砂を浚渫していく必要があるとの説明を聞いたそうだ。川と田などの整備は、その後になってしまう。さらに厳しい、松末小学校から上流の乙石川では、狭い谷で、どう、川・道を復興するのか、厳しい山間地の土砂災害の課題だ。

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